
モスクワへ出発する前には、いろいろと思いをめぐらせた、ということには少し触れた。そして、実際に自身で初めてとなる異国の地を踏み、異国の空気を吸い、留学生活は始まった。しかしながら、これが外国かあ、といちいち感慨にふけっている暇などはほとんどなく、ただ目の前の現実と向き合っていくだけで精一杯だった。だから、慣れたころには、毎日カルチャーショックだ、などという初々しい感想を抱くことは少なくなっていた。もちろん、日本とロシアという完全に文化的背景も異なる国なので、違いがあることは当然であって、それらについては、すでにブログに記事としてあがっている。
僕が、モスクワへやってきて、一番驚いているのは、意外にも日本人の学生が多いということだった。日本でロシア語を扱っている大学といえば、だいたい名前が限られてくるけれども、それぞれの大学から留学生たちが集まっている。北は札幌から、東京、大阪、神戸などなど。総勢で20人弱くらいだろうか。正直言って、これまで早稲田というコミュニティーしか知らなかった僕にとっては、各大学の人たちと接することは、とても新鮮なことだった。モスクワの生活に加え、この「日本人社会」で生きていくということは、予想もしていないことだった。
この「日本人社会」で、実は僕が一番年少である。学年も一番低い。同じ年、同じ学年もいない。だから、留学先の日本人の人たちは、みな「先輩」である。もともと年上の人たちと接するのが好きな性質(たち)だったので、まったくもって嬉しい環境だと思っている。「先輩」たちには、毎日刺激を受けている。もちろん、彼ら彼女らは、ロシア語が堪能であって、当たり前だが、人間的にも大人であって、僕はまだまだガキだな、と思い知らされることが多い……。そして、一番大事なのは、いい意味で「変わりもの」が集まっていて、初めて出会うような人たちが多いということ。「先輩」たちには、毎日刺激を受けている。
僕は、この「先輩」たちにずいぶんと助けていただいている。特に、やって来たばかりのころは、右も左もわからない自分は、助けられてばかりだった。〜へ行きたいのだが、インターネットを繋げたいのだが、寮の手続きはどうすればよいか、などなど、着たばかりのころは、完全に負んぶに抱っこだったような気がする。第一、僕は、ロシア人の話すスピードについて行けなく、ほとんど言葉を理解していなかったので、助けなしでは生きていくのが困難だった。そんな状態にも関わらず、一つも嫌な顔をせずに、親切に接してくれる「先輩」たちには、もうすでに返し切れぬ恩をいただいている。
また、技術的な指導だけではなく、人として教えられることも少なくはない。留学生活を何ヶ月もくぐってきた人たちは、それなりの「修羅場」を経ているので、彼ら彼女らの言葉というのは、非常に重みがあるように思う。普通に話していても、やはり経験に裏打ちされた言葉というのは重い。「先輩」たちは、最初は僕と同じように、「先輩」たちの「先輩」にお世話になったという。そして、やはり返し切れぬ恩を受けたと言っている。だから、次にやって来る「後輩」たちに、恩を還元しているだけだ、と続ける。このようなことを笑いながら、さらっと言ってしまうのだが、その言葉の意味するものは大切なことだと思う。
留学3ヶ月で、かなりお世話になっているというのだから、帰国するころには、本当に莫大な恩だけが残るのだと思う。
「先輩」たちの中には、もう帰国された人たちも何人かいる。たった数ヶ月の付き合いなのに、日本での連絡先を教えてもらい、帰国した暁には再会を、と約束をしている。そう考えたときに、いかに濃密に、時間を共にしていたかを、改めて思い知らされる。
繰り返しになるけれども、ここまで日本人の人たちにお世話になるとは思っていなかった。もちろん、毎日一分一秒、行動を共にするということはないが、一番肝心なときに力になってくれているのは、やはり日本人の人たちである。この「先輩」たちとの出会いは、本当に、意外な「恵み」だった。それもとても大きな「恵み」だった。
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