外国に出るということは、ある意味では、あらゆる文化との遭遇を意味します。そのときに、他の文化に従うとまではいかなくとも、理解することは必要です。いうならば、寛容な姿勢をとるということでしょうか。少なくとも僕は、このようなスタイルで生きているつもりです。
自分が他の文化に触れるのと同じように、僕が背負っている日本の文化というのも外国の空気にさらされます。つまりは、良くも悪くも、日本の文化について何か言われるということです。
最近こそ、ポップカルチャーについて言われることがありますが、やはり一番多いのは「サムライ」「ニンジャ」などの伝統的な日本文化について。この二つの言葉に限っては、小さなロシア人の子どもまで知っていたので、さすがに驚きました。実際、日本においてはそのような文化は、現代社会に受け継がれておらず、形式的には、もはや過去のものとなりつつあります。もちろん、「サムライ精神」などの気概の面では、まだまだ消えうせてはいないと信じてはいますが……。
と話が飛びましたが、自国のことについて良く言われるのは、やはり悪い心地はしないものです。もちろん、それらは固定観念であることがほとんどですが、それでも悪い心地はしません。
それでも、ときどき逆の経験をすることがあります。そのときは、駄目だと分かっていても憤りを覚えてしまいます。例えば、「日本には面白い文化があるよな、ハラキリとか、ハハハ」「昔のサムライは小さかったんだな、こんなのをカワイイっていうんだよな、ハハハ」などのようなことを平然と言われると、反射的にムッとしてしまいました。
確かに、日本の文化などは、ヨーロッパや他の地域の人たちからすれば、ずいぶんとエキセントリックに映ってしまうのでしょう。笑いたくなったり、自分たちの文化と比べたくなったりする気持ちも分かります。ということは予測はしていたのですが、いざ目の前にして言われると、いら立ってしまうものでした。もちろん、そこでいたずらに反論して、不毛な議論に持っていくつもりもないので、黙っておくか、冷静に説明を加えるなど大人しくしています。このとき思うのが、きっちり説明できるように、自国の文化についての考察は必要だということです。同様に、十分な説明ができるほどの語学力も必要だと痛感するのです。
ときどき、それは価値観の違いだから議論しても仕方がないよ、というような場面に遭遇することがあります。価値観、というのは何も外国人たちとだけでなく、日本人同士でも違うものですが、そこで上手くやっていくには、相互理解と、決して価値観を押し付けたりしないことだと思います。これらのことは、よく言われることですが、やはり真理だと思っています。
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