【ロシア】200日の漂流―モスクワ大学留学記2010-2011

2011年03月28日

エピローグ1

 今も続く非常事態を前に記事を自粛していました。加えて、帰国の準備に追われておりまして、ここ2週間記事を更新しておりませんでした。申し訳ありませんでした。
 そうこうしているうちに、早いもので日本に帰国しました。当初、モスクワ、仁川(韓国)、成田、というルートを考えていたのですが、いまだ東京の状況がはっきりしないことと、大学の新学期の開始が1ヶ月延びたことを考慮して、仁川、福岡とルートを変更しました。そして、今福岡から実家の宮崎に戻り、「療養」中です。
 
 留学が終わってしまいましたので、このブログも終了しなくてはなりません。ですので、ブログをしっかり締めくくるために、今日から1週間ほどかけて、「エピローグ」を綴っていきます。テーマはわりあいバラバラに書いていきますので、そこはご了承ください。では、以下からがそれです。


 シェレメチェボ空港に到着すると、あまりに厳重な身体検査、持ち物検査に出くわした。重い荷物を機械に通し、しっかりと着装したコート類を脱ぎ、ゲートを通過する。僕が利用したターミナルDというのは、別の棟にあったので、そこまで歩かなければならなかった。着いたときには、汗でシャツが湿っていた。
 「大韓航空」の受付へ行き、切符の発行し荷物を預ける。荷物は20キロ以内でなければならなかったのに、僕の荷物は27キロだった。「超過料金を払わないといけないですよね?」とロシア人の受付の人に言うと、横にいた韓国人の男性スタッフが日本語で、「今回は大丈夫です。次回から20キロになるようにしてください」と答えてくれて、ラッキーなことに無料でパスすることが出来た。
 実は、9月にモスクワへ行ったときも、成田で荷物の重さを量ったら、28キロだった。このときも、受付の日本人のお姉さんが、次回から気をつけてください、と言ってくれて、あの時も無料でパスしていた。僕は総じてツいていたのかもしれない。

 出国のためのパスポートコントロールの際には、ロシア人のおばさんが対応してくれた。だいたいパスポートコントロールの人は、ぶっきらぼうな表情で、無口な人たちが多い。しかし、このおばさんは違ったようで、ぶっきらぼうな表情で僕のビザを眺め「ふ〜ん、学生さんね。エム・ゲー・ウー、イミニ・ロモノソバ(モスクワ大学のこと)……、一年生?」と聞いてくる。「いや、ただのロシア語のプログラムですよ」と返すと、納得して、バチンと判を押し、ほんのりと笑みを浮かべ、パスポートを手渡してくれた。

 ルーブルが余っていたので、トランジットエリアでお土産を購入して、搭乗ゲートで待つ。モスクワでお世話になった日本人の人たちと電話で少しだけ話し、いよいよ機内へ。
 機内に人は少なかった。だから比較的ゆったりとした空の旅だった。乗客の多くが韓国人で、そのほかにロシア人、日本人が少々いる。僕の周りをお世話してくれたキャビンアテンダントさんは、ロシア人の方で、最初僕の英語で話しかけてき。これに僕はロシア語で返答し、彼女は驚いた表情を見せたが、すぐにロシア語に切り替えてくれた。英語では穏やかで優しい印象を受けたのだが、それがロシア語になったとたんに、普通のロシア人女性のそれへと変わった。ロシア語はわりあい強い口調に聞こえるのだが、まさにそのようだった。アテンダントさんとの会話が、モスクワで話した最後のロシア語だった。

 仁川に着くと、とたんにモスクワが恋しくなった。周りにロシア語が聞こえなくなったことに落胆の念を覚えずにいられなかった。加えて、多くの日本人がそこにいて、日本語が次々と耳に入る。モスクワでは多くの韓国の友人に恵まれていたので、不思議なことに、日本語よりもむしろ、韓国語のほうが、そのときの僕にとっては落ち着く言語だった。

 福岡行きの機内には、おおよそ日本語が飛び交っていた。九州訛りの言葉に懐かしさを覚える一方、ある種の気持ち悪さも少しはあった。到着すると、何か時間がゆっくりと流れているような気がした。目の前に広がる風景は、まぎれもなく日本のそれであって、前日までモスクワという地に立っていたことが不思議でならなかった。

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posted by Itta at 21:49| Comment(0) | 留学日誌(個人的近況) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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