【ロシア】200日の漂流―モスクワ大学留学記2010-2011

2011年03月03日

はじめての一人旅―キエフ~ワルシャワ編

※基本的に旅の事実を時系列に書いていきます。途中途中の印象については、後日また書いていきたいと思います。

 3月1日。朝6時起床。前日は早く寝たので、目覚めは良かった。8時にはホテル内で朝食を済ませ、9時前にはチェックアウトした。
 
 この日最初に向かったのは、「チェルノブイリ博物館」。キエフの中心街からは少し離れてはいるが、地下鉄で行けばさほど時間は要さなかった。開館時間ちょうど10時に入場。客はほとんどいなかった。
 中は手の込んだ装飾で、いかにも「見せる」感じのする展示具合だった。半端のない数の写真や、実際に使われたマスク、そのほか作業員の名簿や身分証など、関係者のものが並べられていた。
 しばらく館内を歩いていると、日本語の文字が飛び込んできたので驚いた。そこには、同じく被爆に苦しんでいる広島の方々がチェルノブイリの被害者に支援をしているという趣旨のものがあった。原爆の悲惨さを描いた詩や原爆投下当時の新聞などなど、日本に関連するものがたくさん展示されていた。また、展示物の説明や補足をするタッチパネル式の機械が設置されていたのだが、それらは全て日本製のものだった。博物館自体の支援も日本が全面的にやっていることが伺えた。
 最後の中央ホールには、被爆した子どもたちの写真が一面に張られていた。またその子どもたちが持ち寄ったおもちゃも並べられていた。さらには、チェルノブイリから発した放射性を帯びた雲がどのように移動したかを示した映像があったのだが、そこには、ヨーロッパ全土を覆ってしまうほどに大規模な雲の変遷があった。あまりにも直接的過ぎる説明映像は、僕の想像をはるかに上回っていた。
 チェルノブイリの事故に加え、日本に原爆が落とされたという事実が、一気に僕の頭の中に押し寄せ、いやおうなしに真剣な思考を強いた。

 そうやって考えていると、だんだんお腹が空いてきたことに気付いた。ちょうど昼前だったので、街の中心にあるウクライナ料理屋に行くことにした。ボルシチ、サラダ、肉料理を頼んだけれど、価格はお手ごろだった。また、ソ連圏では珍しく、サービス対応の良いところだった。お店の雰囲気も良く、味もかなり美味しく、キエフ最後の食事として、十分に満足のいくものだった。

 列車の時間まで、まだ時間があったので、レストランの近くのアンドレイ教会の周りを歩いてみた。だんだんと坂を上っていくと、またしてもキエフ一体を見渡せる高台に到達してしまった。再びドニエプル川を中心とした絶景が目を虜にした。

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 その後、ワルシャワ行きの列車が発車する駅へと向かい、その中でお土産をいくつか買い、近くのマクドナルドでブログを更新した。

 時間も16時前になった。お菓子とパンと水を買い込み、列車に乗り込む。車両は古かった。しばらく部屋で待っていると、50~60歳くらいのおじさんが入ってきた。16時37分。ワルシャワ行きの列車はキエフを発った。このおじさんは、最初のモスクワ、キエフ間のおじさんと違って、特に話そうという感じではなかった。だから、お互いに適当に時間をつぶしあい、暗くなったら暗黙でお互いに寝るという体裁だった。とりあえず、僕は「青空文庫」の中に入っていた太宰治の『人間失格』をなぜかずっと眺めていた。ふと気がつくと、おじさんが寝始めたので、僕も寝る支度をし、21時前には、真っ暗な状態で眠りについていた。
 朝の5時前だったろうか、突然起こされた。国境に入ったのだ。するとウクライナ側の税関員がやって来て、持ち物の検査などを始めた。おじさんのほうが先で、アルコールはないかな、とか冗談を言いながら、その女性の税関員は調べていた。その後、自分の番だ。彼女がウクライナ語で話しかけてきたので、え!?という顔をすると、おじさんが
「その子は、ロシア語を話すよ」とフォローを入れてくれた。すると税関員が、
「どこから来たの?」とだけいうから返答に困る。日本からか、ロシアからか、キエフからなのか分からない。とりあえず、キエフから、と答えると、
「どこに住んでいるの?」というので、少し安堵しながら、モスクワ、と答える。
「モスクワ!?国籍は?」日本だ、と返す。
「はらあ〜変わっているわね〜」といいながら、検査は終わった。

 その2時間後くらいに、今度はポーランド側の人間がやって来た。全く分からないポーランド語が耳にせまり、とりあえず、聞き取れたパスポートという言葉を信じて、パスポートを手渡した。そのままスタンプを押され、入国が完了した。
 列車に乗ってから、17時間くらい経っただろうか、ようやくワルシャワに到着した。もっとも、列車自体、途中で止まったりしていて、急行ではなかったので、これだけの時間がかかったのだろう。
 
 時計を見ると、ポーランド時間の午前9時過ぎ。日本との時差は8時間。とりあえず、駅構内のマクドナルドで腹ごしらえをしようと目論む。が、しかし、早速言葉の壁にぶち当たる。久しく英語を使っていなかったということもあったが、まずメニューがポーランド語のために、上手く読めない。とりあえず、共通語であろうメニューの名前を言ってみたところ、ランチメニューですね、と自分の意と反して勝手に注文されてしまった……。ただ、いや違う、という勇気も気力もなかったので、そのまま注文を受け入れることになってしまったのだが……。

 空は快晴だった。通りに出ると、何やら妙に見慣れた建築様式の建物がそびえたっていた。

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何でもスターリンがプレゼントした建物だそうで、通りでモスクワ大学と同じスターリン様式だということが腑に落ちた。

 最初に僕は、旧市街地にある、ワルシャワ旧王宮を目指した。近代的なつくりの駅周りから離れて歩くと、だんだん歴史的な街並みが目に入ってきた。旧王宮に行くには、「新世界通り」、ついで「クラクフ郊外通り」という道を通る必要がある。2、3キロあるその通りをゆっくりと歩く。第二次世界大戦で一時は、壊滅的に破壊されたという街は、実に見事に再現されている。広々とした通りに、伝統的な建築様式。まさしく絵本で読んだ「ヨーロッパ」のイメージそのままである。宮崎県の田舎者が、こんなところを歩いてよいものか、と腰が引けるくらいに、「出来過ぎた」街並みだった。

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 あのコペルニクスの像に、ワルシャワ大学、ヴィジトキ教会に、大統領官邸など、豪華な建造物が立ち並んでいた。大統領官邸などは、さすがに警備が完璧で、銃を携帯した警官が、入り口で待機していた。

 旧王宮に着いた。

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 拙い英語でチケットを買い、城内を見学する。復元された部屋の装飾を見たり、そのほか絵画が展示されていたので、鑑賞したりするなど、ゆっくりと回った。城内に、昔の写真が展示されていた。戦争で破壊される前のものと、破壊尽くされた状態のものが、並べられていた。何かのビフォ・アフターのように表されたその写真を見ると、何とも言えない感情に襲われる。長い歴史のあったものが、いとも簡単に爆弾で壊された。けれども、今は昔のように復元された。……。

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 旧市街地をしばらく散歩した後に、今度は「ショパン博物館」を目指した。受付へ行くと、1時間待ってくれ、と言われたので、近くの国立博物館へ行くことにした。ここには、いくつもの絵画が収められており、全部をゆっくり見ていたら日が暮れてしまうようだった。だから、できるだけさっとだけ見て、そそくさと「ショパン博物館」へと向かった。

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 外観は17世紀に立てられた古い宮殿だが、中は完全にモダンな造りとなっていた。あちらこちらにタッチパネル式の機械が置いてあり、客は随時利用することができる。BGMに『エチュード「革命」』が流れたりするなど、完全にショパン一色である。また、ショパンの関連物を展示している一方で、当時の時代背景を説明するなど、非常に分かりやすい構造になっていた。
 また、博物館の隣には、「ショパン・ストア」というお店があって、ショパンを中心としたワルシャワのお土産が売ってあった。もちろん、僕もショパンにあやかって、いくつかのものを購入した。

 時間も17時近くを回ってきたので、ホテルへと向かった。重い荷物を持ちながら、一日中歩き回った後の、5キロの道は遠かった。ホテルまでに、結局へとへとになりながら到着した。予約どおりスムーズにことが進み、チェックイン。その後夕食をとり、早めに部屋へと戻った。空は、もう赤く赤く染まっていた。

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posted by Itta at 21:04| Comment(0) | 留学日誌(観光) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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