【ロシア】200日の漂流―モスクワ大学留学記2010-2011

2011年03月01日

はじめての一人旅1-モスクワ~キエフ編

 27日夜9時過ぎ。僕はキエフ行きの車両に乗り込んだ。おや日本人か、と驚いた駅員さんは、部屋の場所が分からない僕を丁寧に案内してくれた。部屋に着くと、そこには中年のロシア人のおじさんがいた。スーツに身を包み、険しそうな表情で座っていた。列車が動き出すと、お互いに寝る準備をはじめた。すると、おじさんが突然、ロシア語は分かるのか、と聞いてくるので、分かると答えた。出身はどこだと言うので、日本だと返すと、目が倍くらいの大きさになって、頭を抱えだした。「おお、日本人と同じ車両になるなんて、何て変わった旅だ」と言ったときには、もう表情に険しさは無かった。そこから僕らの会話ははじまった。
 おじさんは、日本については、それなりに知っていた。
――そろそろサクラが咲くよな?
――日本車は最高だよ。俺はマツダと日産に乗っている。
――富士山は綺麗だよな
――日本はラッシュのときに、乗客を車両に押し込む「専門の人間」がいるんだよな?
 一般的に知られていることのほかに、なぜ日本が戦後急速に経済成長を遂げたのか、などのことも話した。学生時代に哲学を専攻していたという彼の話は、終始一貫して、知的な人のそれだった。彼との話は、興味深い内容が多かった。
「日本人は旅行が好きだよな〜」
「おそらくそうですね」
「いや、おそらくじゃない、確かに、だよ。だって、だいたい『赤の広場』の周りで集団で写真を撮っている人たちがいたら、だいたい日本人だもんな。しかも年寄りが多い。」
「彼らは退職後、暇なんですよ。年金とかでお金もあるでしょうし」
「ロシア人も退職後は暇さ。でも金が無いんだ。年金は少ないしね。俺の母親は月に8000ルーブル(2万円と少し)くらいしか貰ってない」

「日本という国は本当に不思議な国だよ。ロシア人のほとんどが憧れているよ。俺らからしたら、まるで『おとぎ話の国』だよ。隣国なのに、すごく遠いしね。」
 彼のこのような日本観は、おおよそのロシア人の意見を代弁しているものなのかもしれない、と思いながら真摯に受け止めた。
 有益な会話のほかにも、彼にはずいぶんとお世話になった。国境を越える際に、手続きをしないといけなかったのだが、そのときも書き方など丁寧に教えてくれた。またキエフのことについても、いくらかアドバイスをいただいた。
 
 朝の6時くらいに税関員にたたき起こされて、もう一眠りをした後、ウクライナ時間の10時にキエフに到着した。僕はまず、翌日のワルシャワ行きの切符を買いに、駅内を奔走した。インフォメーションで聞き、所定の窓口を探した。その際に、キョロキョロしていた僕を見かねて、普通のおばさんが、どうしたの、と声を掛けてくれて、道案内をしてくれた。そのような助けもあって、わりあい難なく切符を購入することができた。

 一安心した僕は、キエフの中心地である「独立広場」を目指した。地下鉄を利用したのだが、モスクワの地下鉄とほとんど同じだった。モスクワのとある駅と勘違いしそうなくらいに似ていた。

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 「独立広場」に着いた。広々とした空間と快晴の空模様に、気分は一気に高まった。しかし、そんなハイテンションはすぐに終わった。
写真を撮っていると、突然着ぐるみのおじさんがやって来て、僕のカメラを取り上げる。おい、と思ったときには、写真を撮ってあげるからといいながら、撮影を始めだした。これは金を取られるな、と察したが、すぐに終わるだろうとあまり抵抗はしなかった。近くの場所を背景に5枚くらい撮られたところで、もういいと言った。僕は無表情で、いくらだ、と聞く。すると、500ルーブル(1400円くらい)だと言うではないか!少しカチンときた僕は抗議を始めた。
「これは多すぎる」
「これより少なくは、絶対できない。」
「というか、なぜ最初に金のことを言わなかったんですか?」
「これが俺の仕事だから」
「残念ですが、ルーブルは持っていません」
「それなら、120グリブナ(1200円くらい)でいい」

 これ以上抗議しても時間の無駄だし、騒ぎを大きくしても面倒くさいと思ったので、120グリブナを渡した。結果値切ることに成功しているわけだし、苦肉の策だった。

 まあ、一人旅の洗礼だ、と開き直って、僕はキエフの街を歩き出した。
 「独立広場」からまずは、ソフィア聖堂へ向かった。特に中に入る気もなかったので、外観をぐるりとまわった後に、近くにある「黄金の門」を目指した。モンゴル軍に攻め入れたときに、あのバトゥ・ハンも通ったというこの門は、個人的にたいへん興味深いものだった。モンゴル軍に破壊されたこの門は、今は廃墟を護るように保存されていた。

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 ホテルの時間が近づいたので、それを目指す。駅から近く、大きな通り沿いに立地しているため、すぐに見つかった。あらかじめネットで予約を入れていたので、予約番号を提示すると、受付のお姉さんに、この番号は違うと言われた。一瞬あっけに取られて心配になったが、パスポートを見せると、あなたの名前の予約があるわ、と言われ、何とか予約どおりの部屋を取ることができた。
 
 一時間くらい部屋で時間をつぶした後、今度はペチェールスカ大修道院(世界遺産)へと足を運んだ。駅からはトロリーバスで行くとよい、と書いてある距離を僕は徒歩で行った。街の中心から離れたその場所は、時間の流れが遅く、のどかな雰囲気が広がっていた。
 しばらく足を進めていると、向こう側に大きな教会や聖堂が目に入る。ほどなくして到着すると、敷地内を歩き始めた。人は少なく、静かな空気だった。

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 一通り建築物を見てまわり、別のルートから引き返そうとして彷徨っていると、目の前にキエフの街の風景が飛び込んできた。そう、この大修道院は高台に位置していたのだ。ドニエプル川を中心としたその光景に、しばらく引き込まれていた。

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 別のルートを、と思っていると完全な裏道に出てしまった。人気は全くない。雪に包まれたその場所を、僕はゆっくりと散歩した。

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 晩飯を、友人に薦めてもらったレストランで済ませた後、ホテルまで歩いて戻ることにした。2、3キロの距離だったが、街の雰囲気を嗅ぎとるつもりで歩いた。
 途中、ウラジーミル聖堂という教会に出くわした。フレスコ画が綺麗とあったので、入ることにした。すると、ちょうどお参りの時間だったこともあって、教会内には聖歌が流れていた。人も決して少なくなかったが、教会独特の雰囲気がそこにもあった。ロシアでも感じたあの感覚である。30分くらい、その穏やかでやさしい空間にいた。何か身が洗われたような気になったので、偶然ではあるまい。

 そのまま部屋に戻って、早いことに21時前には就寝した。

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posted by Itta at 22:19| Comment(0) | 留学日誌(観光) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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