【ロシア】200日の漂流―モスクワ大学留学記2010-2011

2010年11月27日

「ロシアとはいかなる国か」

DSCF6931.JPG
※バスに書かれていた落書き。「プーチンは単純なヤツだ」

 あるロシア人の友人と、「歴史」について話しました。何でも、ロシアでは、学校の授業で使われる歴史の教科書には、さまざまな種類があって、それぞれに書かれている内容が異なることも少ないといいます。ですので、よくロシア人の間でも、「ロシアとはいかなる国か」というテーマで激論が繰り返されるそうです。また、その一方で、学校側に、この教科書を使ってほしいがために「わいろ」が横行しているとの噂も……。何はともあれ、ロシア人の中では「国史」に関しては力が入っているということは確かなようです。
 
 自国の歴史について、深い考察がなされるというのは、少なくとも悪いことではないように思えます。例えば、自国の歴史についての教育が、内容がほぼ同じである教科書という形で、解釈が画一的になるようなことは、ある意味では危険なことだと思います。歴史は、その記述者が異なれば、歴史自体変わってしまい、あるいは、記述されない事柄というのは、歴史から抹殺されてしまうわけですし。極論を言えば、そのときの政府の政治的見解で、「歴史」というは異なるのだと思います。だからこそ、各国との間で、歴史教科書問題などが起こってしまうのでしょう。

 ロシアでは、スターリン時代に処刑された人の数が異なったり、どの人物が称えられるべきなのか、などをめぐり意見が分かれるそうです。そして、顕著なのは、ソ連時代か現代、どちらがいいか、という議論です。
 現代でもソ連時代のほうがよかったという人も、少なくないようです。僕が実際に聞いた話では、夜女の人が一人で歩いていても、ぜんぜん危険ではなかったそうです。というのもホームレスというのは、ほとんどいなかったといいますし、食料で困るような人もいなかったというのです。そして、そのような内容を聞いた若者の中に、やはりソ連時代はよかったのでは、という人もいるそうです。
 一方で、ソ連時代を経験している年配の方の中に、現代のほうがいいじゃないか、と言う人もいるといいます。ロックが聴けない、ジャズが演奏できない、などの「文化的不自由」からの解放を喜んでいる人も多いといいます。
 ですので、そのような「ロシアとはいかなる国か」というテーマが白熱するのは、それぞれの個人の歴史見解が異なるからではないでしょうか。

 このような議論が展開される、というのは、常に自国に対して関心を持っているということを意味します。「ロシアの国民は、政治に無関心で、だから強権政治が成り立つんだ」という類のことを日本で目にしたことがありますが、果たしてそれは本当なのかと疑ってしまいます。ひょっとしたら、自国に関心のあるのは知識層だけかもしれませんが……

[あとがき]
 実は、このような話を書いたのは、先日観覧に行った、とあるフォーラムがきっかけでした。そこでは、「今後の国のあり方のために、現代文化はどうあるべきか」という類の議論がなされ、そこで、先のような、ソ連か現代か、という協議に突入したわけです。歴史の話などは、そのとき同行していたロシア人の友人とのものです。何か、ロシアの知らない一面が見えたようだったので、今回取り上げたしだいでした。

ブログランキングに参加しております。下のバナーのクリックを宜しくお願いします。人気ブログランキングへ


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。