【ロシア】200日の漂流―モスクワ大学留学記2010-2011

2010年11月30日

3ヶ月のけじめ2

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 実際の留学生活を振り返る前に、ひとつ、整理しておかねばならないことがある。

「なぜロシア語を学ぶのか」

 という問いに向き合うことである。この類の質問は、日本にいるときから、そして留学先で、いく度となく聞かれたものだ。はっきり言うと、一から百まで明確な回答をすることはできない。昨日書いたように、ロシアに興味を持つ「きっかけ」こそあるけれども、それらは、現在なおロシア語を継続して学んでいることの理由と直接には結びつかない。もしも、きっかけがあっても、途中で投げ出してしまえば、今ロシアについて学ぶ必要はない。
 「なぜロシア語を学ぶのか」。耳が腐るほどに聞かれ続けたこの問いには、何度も向き合っては、逃げた。今年の9月12日に、とある文章を書いていたのだが、このときの回答は、自分でも狡猾なもののように思えた。

 このようなはかない興味を高校時代に抱き、そのまま大学に入った。大学では、第二外国語を選択せねばならず、私は興味のあったロシアの言語を選んだ。たまたま、語学クラスの担任の先生が熱心だったこともあり、私はロシア語を勉強し続けた。いつからだろうか、ロシアの政治、経済、文化、哲学などなどに興味を抱いてしまった。すると必然的にそれらを勉強してしまうのである。そして、妙にそれらの勉強が面白く、心地がよい。現在、モスクワに入国して12日。私は相変わらず、この延長線上にいるのである。
 だから、ロシアに来ている理由や、ロシア語を勉強している理由は答えられない。これほど難しい問いは、今のところ私にはほとんどない。逆に言えば、この理由がはっきり答えられた瞬間に、私のロシアへの興味というのは、おのずと限界点が現れ、最終的には消えうせてしまうのではないか、と最近では思うようになった。(2010年9月12日)


 少しキザな表現をすれば、ロシアに「魅せられている」とでも言おうか。この感覚は決して間違ってはいない。それでも、留学し立てのころと、考えが変わらぬというのは、いささか問題だと思う。これから、わずかながら自分に素直になって、回答をひねり出してみたい。
 
 今、ロシア語を学んでいるということは、一応将来へと結びつくことを意味している。人生において、最終的には「作家」として飯を食べて生きたいと考えている僕にとって、ロシアというのは、一つの大きな主題になる。いつしか、ロシアについて書いてみたい。それがノンフィクションという形をとるのか、小説という形をとるかは別にして、ロシアについて書いてみたい。そのような漠然としていた思いが、ふつふつと留学中、日に日に増していることは、僕の素直な心情だ。
 いく人もの先人たちは、ロシアについてたくさんの書を残したけれども、それでは時代は移り変わっているのである。司馬遼太郎のような、偉大な先人も、今の一瞬一瞬を流れる「現代の」もの書くことはもうできない。今、論壇を賑わせているロシアの専門家たちも、今のロシアをどうしてもソ連時代と比較してしまうだろうから、純粋に、素直に、「現代の」ロシアと向き合うことは難しいだろう。
 そこで、自分という存在について考えてみる。僕は、ソ連が崩壊した1991年に、この世に生を受けた。僕の生まれた9ヶ月後に、ソ連は崩壊した。だから、僕にとってソ連とは単に「歴史」にしか過ぎず、その位置づけは、第二次世界大戦の延長上でしかない。いずれ社会に出るであろう、冷戦を知らない世代なのである。僕を含めたこの世代の時代は必ずやって来る。いや、もう訪れているのかもしれない。そのときに、鍵となるのが、「時代は時代の書き手(表現者)を要求する」ということである。僕は、この潮流に乗っからなければならないと思っている。むしろ、この機会を利用しない手はないと思っている。

 そう考えたときに、ロシアについて興味を持ち、ロシア語を学んでいることの「理由」や「意味」が少しだけ垣間見えたような気がする。時代のロシアを書きたい、と。そのためにも「現代人」として、世の中の変化を鋭敏に嗅ぎとっていかなければならない。それは、いつの世代の人でも、通らねばならないことなのかもしれない。


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2010年11月29日

3ヶ月のけじめ1

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 題のごとく、留学生活も3ヶ月が過ぎた。3ヶ月というのは、とある物事を継続するさいの目安になる期間だと思っている。勉強にしろ、筋トレにしろ、だいたい3ヶ月も経てば、何かしらの「結果」がついている。そして、3ヶ月の時間の経過は、次のグレードへのステップアップの始まりの期間でもあると思うのだ。そのような意味を込め、改めて、この留学について考えてみたい。

 留学というのを漠然と考えはじめたのは、中学のころのこと。社会は、国際化、国際化とうるさく、僕の身の回りもそうで、特に親父は、外国へ行け!と半分本気で言っていたような気がする。でも、行き先となる国などは決まっているわけもなく、単にかっこいいという理由からイギリスかどこかだと思っていた。
 ロシア、という国を意識し出したのは、中学3年のころだと記憶している。当時は、デイトレードブームや、後のライブドア事件に象徴されるように、株式ブームだった。社会に対して興味を持ち始めていた田舎の少年は、その面白さに惹かれた。国内だけではなく、国外の株式にも興味を抱き、自然に、その類の本を生意気に眺めていた。その中でも、BRICsという新興国の存在は大きかった。半端のない成長率の数字を並べていた4カ国の中でも、少年の注意をひいたのは、ロシアだった。資源を中心とした経済成長で、国力の伸張を牽引していたプーチン大統領は、刺激を受けやすい田舎少年の目には、とても「かっこよく」映った。ロシア、という広大な国を意識し始めたきっかけは、単にこれだけだった。
 
 受験勉強、人間関係などにどっぷりと浸かった高校時代でも、僕の頭からロシアという国が離れることはなかった。それでも、現実に「ロシア」と触れる機会などなく、客観的に見れば「ロシアへ行く」というのは、なかなか非現実的なものだった。一応、高校時代から、「ロシアへ留学する」と公言していたのだが、おそらく誰も本気に取っていなかっただろう。

 補欠合格でもはじかれ、その後の「繰上り」合格で、今の大学に入ることになった。入学に際し、必修授業の関係で、第二外国語を選ばなければならず、僕は迷わずロシア語を選んだ。単に第二外国語で選択しただけなのに、僕にとって、ロシアというものが急激に近づいた。一番には、熱心な担任の先生のおかげで、ロシアに関するあらゆる情報に触れることになったことだろう。それによって僕の浅はかな「ロシアへの憧れ」というのは、しだいに輪郭が見えはじめていた。やはり、ロシアという国への興味は本物だ、という確信に変わっていった。

 留学を決断して、身の回りにも留学することを打ち明けていたが、不安視する人も少なくなかった。第一に、危ないんじゃないか、と。しかも、今年の3月末にはモスクワの地下鉄でテロまで起こったものだから、そのような声はますます強かった。それでも、行くことを諦めなかったのは、自分自身の意思の現われだったと思っている。正直に打ち明けると、テロが起きたさいに、逆に僕の留学願望は強まったのだ。行かなければならぬ、と。テロという、きわめて「現実的」なことと対峙しているロシアという国と真剣に向き合ってみたい、そのような思いが沸いたのだった。また、外国に一度も出ずに、いきなり留学に突入することを不安がる人もいた。
 そのような意思がある一方で、一度も外国に出たこともなく、東京の生活で精一杯だった田舎の青年に、まったく「恐れ」がなかったわけではない。留学へ行く、という強い気持ちと相反する、「逃げ」の感情もわずかだったがあった。それでも最終的には、前者の強い気持ちが勝ち、今に至っている。

 8月は、日本の身の回りの人たちに、送りだされた。大学の友人をはじめ、親戚などに。最後に掛けられる言葉は、

「生きて帰ってこい」

みな冗談半分、半分本気だった。それでも、僕は本気でその言葉を受け取っていた。それは、今でも思っていることだ。僕の留学のテーマは、「人生最大の挑戦」なのだから。

出発する前までは、ずいぶんと妄想したものだった。日本人は少ないだろうな、相部屋は外国人だろうな、街中で絡まれたりして、あるときには格闘したりするかもしれない。他の国から留学生はどうだろう、ネオナチに遭遇するかもしれない、などなど……

そのような漠然とした妄想を抱きながら、青年は初めて外国の地を踏んだ。

つづく
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2010年11月28日

カラオケ♪

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 昨日、はじめてモスクワのカラオケボックスへ行ってきました。こちらに来ている日本人の人がよく行くと聞いていたのですが、実際に行ったことはまだありませんでした。
 日本人とロシア人とで行って、4時間ほどいたのですが、そのカラオケのシステムには驚きました。

 カラオケの機械などの製作は、韓国のメーカーでして、リモコンなども全て韓国語でした。それでも、言語設定をすれば、日本語、中国語、英語、ロシア語に対応してくれます。たまたま、韓国語を勉強しているロシア人もいたので、そのあたりに心配はありませんでした。日本では、タッチペンで曲や歌手を検索することができますが、昨日行ったところは、分厚い本を見て、番号を打ち込むというものでした。
 気になる曲数ですが、こちらもある程度は、網羅しているようで、特に不自由はありませんでした。日本の歌謡曲もジャニーズから演歌まで、ちゃんと収録されていましたし。

 それにしても、日本語を勉強しているロシア人たちは、よく日本の歌謡曲などを知っているのです。日本人すら知らない曲まで歌いだすものだから、驚くしかありません。
 日本語や韓国語などの、東アジアの国々に興味のあるロシア人は、たびたびカラオケに行ったりするそうなのですが、ロシア人全体だと、まだまだ深く浸透しているというわけではないそうです。まだ、カラオケが持ち込まれてから日が浅いというのもありますが、とりあえずの現状はそうだと、ロシア人の友人は行っておりました。

 気になるお値段ですが……、高いです……。日本の4倍から5倍はする値段だったように記憶しています。(もっとも、日本のカラオケ価格がわりあいまちまちですが)
 また、お菓子や飲み物の持ち込みも禁止です。これは日本でも同じですが、こっそり持ち込んでいました。そして、バレてしまったのですが、まあ、気をつけろと言われただけで、大丈夫でしたが(汗
 何はともあれ、楽しかったので、よしとしています!!

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2010年11月27日

「ロシアとはいかなる国か」

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※バスに書かれていた落書き。「プーチンは単純なヤツだ」

 あるロシア人の友人と、「歴史」について話しました。何でも、ロシアでは、学校の授業で使われる歴史の教科書には、さまざまな種類があって、それぞれに書かれている内容が異なることも少ないといいます。ですので、よくロシア人の間でも、「ロシアとはいかなる国か」というテーマで激論が繰り返されるそうです。また、その一方で、学校側に、この教科書を使ってほしいがために「わいろ」が横行しているとの噂も……。何はともあれ、ロシア人の中では「国史」に関しては力が入っているということは確かなようです。
 
 自国の歴史について、深い考察がなされるというのは、少なくとも悪いことではないように思えます。例えば、自国の歴史についての教育が、内容がほぼ同じである教科書という形で、解釈が画一的になるようなことは、ある意味では危険なことだと思います。歴史は、その記述者が異なれば、歴史自体変わってしまい、あるいは、記述されない事柄というのは、歴史から抹殺されてしまうわけですし。極論を言えば、そのときの政府の政治的見解で、「歴史」というは異なるのだと思います。だからこそ、各国との間で、歴史教科書問題などが起こってしまうのでしょう。

 ロシアでは、スターリン時代に処刑された人の数が異なったり、どの人物が称えられるべきなのか、などをめぐり意見が分かれるそうです。そして、顕著なのは、ソ連時代か現代、どちらがいいか、という議論です。
 現代でもソ連時代のほうがよかったという人も、少なくないようです。僕が実際に聞いた話では、夜女の人が一人で歩いていても、ぜんぜん危険ではなかったそうです。というのもホームレスというのは、ほとんどいなかったといいますし、食料で困るような人もいなかったというのです。そして、そのような内容を聞いた若者の中に、やはりソ連時代はよかったのでは、という人もいるそうです。
 一方で、ソ連時代を経験している年配の方の中に、現代のほうがいいじゃないか、と言う人もいるといいます。ロックが聴けない、ジャズが演奏できない、などの「文化的不自由」からの解放を喜んでいる人も多いといいます。
 ですので、そのような「ロシアとはいかなる国か」というテーマが白熱するのは、それぞれの個人の歴史見解が異なるからではないでしょうか。

 このような議論が展開される、というのは、常に自国に対して関心を持っているということを意味します。「ロシアの国民は、政治に無関心で、だから強権政治が成り立つんだ」という類のことを日本で目にしたことがありますが、果たしてそれは本当なのかと疑ってしまいます。ひょっとしたら、自国に関心のあるのは知識層だけかもしれませんが……

[あとがき]
 実は、このような話を書いたのは、先日観覧に行った、とあるフォーラムがきっかけでした。そこでは、「今後の国のあり方のために、現代文化はどうあるべきか」という類の議論がなされ、そこで、先のような、ソ連か現代か、という協議に突入したわけです。歴史の話などは、そのとき同行していたロシア人の友人とのものです。何か、ロシアの知らない一面が見えたようだったので、今回取り上げたしだいでした。

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2010年11月26日

雪は積もったけれど……

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 今週の日曜日から、火曜日くらいまでだったでしょうか、モスクワでも本格的な積雪が見受けられました。それでも、その後の雨によって、見事に雪は一掃させられ、先日の積雪はどこに行ったんだ、という気にさせられます。それでも、今後は、マイナス10度台の気温にくわえ、積雪ももちろんあるとのこと。

 それにしても、雪が降る、ということはこんなにも恐ろしいのかと、思い知らされたわけです。どういうことかといえば、道路が凍ってしまって、スケートリンクのようになってしまうということです。当然、このような経験をしたことのない僕にとっては、一歩一歩に神経を集中させねばならず、他のことを考えている暇などありません。滑って、バランスを保とうとするたびに、気恥ずかしさがこみ上げてくるのですが、周りのロシア人も滑っていたので、何だ、みんな同じじゃないかと思い、少し安心したしだいでした。

 また、完全に個人的なものかもしれませんが、長い間外にいて、雪に打たれていると、だんだんと気持ちが落ちてきてしまう、というか、何か生気が奪われるような気がしてなりませんでした。寒かった、というのもありますが、妙に疲れを感じざるをえませんでした。一緒にいたロシア人は、「こんなの普通さ」と言っていたのですが、ああ……先が思いやられる……

 雪が降ったならば、さぞかしテンションが上がって、はしゃいでしまうのだろうと思ったのですが、そこまでのテンションには至りませんでした。典型的な、雪を見たことのない人間の心情だったのです。また、「今日の雪はいい雪だね」といわれても、まったくピンと来ないわけです。そういう面も含め、雪に慣れていかないと……、と思う今日この頃。

 少なくとも、この冬、5回は路上で滑ってコケます。もう覚悟はできています……

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