そもそも、本ブログは留学レポートに先立つものとして始めました。現地に行って、この「眼」で、路上を這いながら、「視」る。このような野心がきっかけでした。そして、今も変わらず同じ心持であります。
私自身の実情を吐露しますと、ロシアへの留学が初めての海外渡航となります。海外ってどんなところだろう、という単なる好奇心で終わる旅行と違って、どんなところだろうと思い、そこからの「どんな」に慣れ親しまなければなりません。すなわち、否応なしにロシアの環境が強いられるのです。旅行は、あくまで観光なのであって、留学は「生活」だと思っています。ですから、それに向けての腹のくくり方は、一筋縄ではいかないだとうと心しています。
このような境遇において、「不安」という言葉が浮かびそうですが、私はこれを敢えて否定します。「不安」を微塵も感じぬといえば、嘘になりますが、そのようなネガティブな心持で、スタートに立ちたくないのです。
留学先では、これまで経験したことのないような「異文化」コミュニケーションが待ち構えています。いや、これまでにそれらしい異文化云々をしてこなかったので、全てが全てが初体験ということになります。また当然、使用言語もほとんどの場合、ロシア語か英語に限られます。このような(今の状況で考えれば)「非日常性」には、大いなる興味があり、様々な意味で楽しみに感じています。そして帰国した暁には、その「非日常」が「日常」に変わっているであろうと期待しているのです。
さて、留学まで3ヶ月を切りました。そう考えたときに、胸にこみ上げるものが依然として存在します。このこみ上げは、上記のような様々な感情のカオスから成り立っているのでしょう。ただ、時、時間というのは、黙って現実を近づけてくるものです。たまに「暴力的」にさえも感じられるほどに、です。しかし、これは地震などのように突然やってくるものではなく、あらかじめ、来る、というのが分かっています。つまり、迫り来るものに対して「準備」あるのみだということに行き着くわけです。
迫り来る現実を前に、戯言(たわごと)を吐いてみました。
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