スタルヒンは、ロシア革命により亡命を余儀なくされた一族出身、いわゆる「白系ロシア人」になります。幼いころに北海道へ亡命し、そこから野球人生を歩んでゆき、後にプロの投手として名を馳せます。年間42勝をマークするなど、現代ではもはや伝説と読んでよいほどの選手でありました。
ただ、時代が時代でしたので、当時の政治的影響は免れませんでした。ソ連は、日本にとっては敵国でしたので、白系ロシア人のスタルヒンも敵国人種と見なされ、軟禁されたといいます。また、名前も戦時中は、「須田 博(すた ひろし)」と改名していたといいますから、当時の情勢が垣間見えます。
ロシアと野球、という関係性にはなかなかピンときません。実際に、ロシアでは野球人口が少なく、存亡の危機だとさえ言われます。というのは、ロシアでは主としてオリンピック種目が重視され、政府の援助等も種目によって差が激しいからだそうです。ロシアの野球ナショナルチームは、オリンピックに出場できない状況であり、また北京五輪以降、野球種目が除外されるという事実から、援助が乏しく人気も低迷しているとのこと。
かつて、野球が五輪種目となる92年のバルセロナ五輪を目指して、「ソビエト連邦スポーツ委員会」は86年に野球に力を注ぐことを決定し、89年に日本のビジネスマンのおかげでモスクワに野球専用スタジアムを設けるまでにいたりました。しかしながら、91年にソ連が崩壊し、野球強化企画はほぼ消滅してしまいました。あと5年共産政権が続いていれば、ロシアの主要なスポーツになり得たかもしれないという声もあります。
このような歴史を経て、ロシアと野球の関係性は現在に至ります。確かに、ソ連仕込の強化をもってすれば、ひょっとしたら面白い感じにはなったかもしれないと思わなくもないです。
ヴィクトル・スタルヒン。50年以上の時間の隔て、ロシアでの野球低迷を加味すると、日本でもロシアでも、その名を聞くことは少ないのでしょう。しかしながら、私は野球界における投手としては勿論のこと、日露交流のうちの白系ロシア人の影響という面からも、心に留めておくべき人物だと信じています。
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