そして、日本にもゆかりがある。ニコライ2世がまだ皇太子だった頃、ウラジボストークに向かう途中、訪日している。来日中の大きな出来事といえば、やはり「大津事件」だろう。この事件でニコライが負傷したことは、明治時代の日本においても、無視できない大事件であった。
「大津事件」はさておき、ニコライが京都へ向かうまでに、長崎、鹿児島を相次いで訪れていることを着意したい。ニコライは、県知事を表敬訪問し、鹿児島にある正教会を訪れたという。
実は、正直なところ、ニコライが鹿児島を訪れていたことは、全く知らなかった。初めて知ったのは、少し前に鹿児島を訪れ、城山を観光していた際に、ニコライの記念碑を発見したときだった。城山は、かの西郷隆盛が自刃した場所として有名だが、今では自然保護区となっており、公園として開けている。そこをずっと歩き、島津家が祭られている「照國神社」という神社に向かっているときに、ひっそりと「『露国皇太子ニコラス殿…記念碑』はこちら」という旨の白木の看板が立っていた。思わず気が引かれ、そちらの方向に足を向ける。しかし、道は整備されておらず、田んぼのあぜ道のように、草の道である。その上、これは高齢の方は辛いだろうな、というくらい坂が急であった。つまり、誰も来ないところみたいである。
その急な坂を何とか登り、一つの結構大きさのある石碑を見つけた。周囲には誰もおらず、静けさはこの上ない。恐る恐る石碑の正面に回り、ニコライの記念碑であることを確認した。しかし、記念碑にはくもの巣が掛かっており、そこに葉っぱが引っ掛かっていた。何とも哀れな立ち姿だったことを覚えている。
私が訪れたときが、たまたま人がおらず、記念碑もないがしろにされていたのなら、話は別だ。しかし、ニコライが鹿児島を訪れたということは、歴史の中に風化していき、あまり気にも留められなくなったのか、と果かなさを感じた。
写真は、私がくもの巣を払ってから、撮影したものです。背景から、その哀愁さが伺えるでしょうか。
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