【ロシア】200日の漂流―モスクワ大学留学記2010-2011

2010年04月06日

文が進まない

 先ほどまで、テロについて書いていたのですが、上手くまとまらないというか、問題自体複雑なもので、一向に文が進みませんでした。ですので、改めてまとまり次第、更新したいと思っています。

 最近の一連のテロを受け、日本の外務省は渡航に関してどのような態度を示しているのか気になったので、調べてみました。

ロシアに対する渡航情報(危険情報)の発出(2010/03/05)
●チェチェン、イングーシ、ダゲスタン、北オセチア、カバルダ・バルカル、カラチャイ・チェルケスの各共和国及びスタヴロポリ地方
:「渡航の延期をお勧めします。」(既に滞在中の方は、退避手段等につきあらかじめ検討してください。)(継続)
●上記を除く地域(首都モスクワ市を含む)
:「十分注意してください。」(継続)


しかし、まだテロの発生可能性はあるので、絶えずチェックしていかねばなりません。

 冒頭のように、テロについて考えていくと、だんだん陰鬱に感じてしまいます。外務省のページを見ていてもそうでした。今日は、本当に文が進みません。「身近」なものだからこそ、自分自身に支障をきたしているのかもしれません。

 すいません。早く切り上げます。

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posted by Itta at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月05日

日本流接客―ユニクロ、モスクワ進出より

 ユニクロがモスクワに進出したことは、ご存知かもしれません。


ユニクロ、ロシア1号店オープン 700人行列、関心高く 【モスクワ共同】カジュアル衣料品店「ユニクロ」のロシア1号店が2日、モスクワにオープンした。ロシアでは、旧ソ連時代のサービス意識に乏しい接客がなお残るが、ユニクロを展開するファーストリテイリングはロシア人社員7人を半年以上、日本の店舗で研修させており、消費者の目線に立った陳列など日本流のサービスで売り込みを図る。
 ファーストリテイリングによると、日本のファッション企業がロシアに直接出店するのは初めて。開店前から約700人が列をつくり、関心の高さを示した。主婦ダリヤ・パンテレエワさん(22)は「サービスは素晴らしい。商品も安く高品質で驚いた」と満足げだった。
 ロシア出店を決めたのは約2年前。その後の金融危機でロシア経済は深刻な打撃を受けたが、同社の大笘直樹上席執行役員は、庶民が財布のひもを引き締め買い物を厳選する現状は「品質に自信があるわれわれにとってチャンス」と強気だ。
ジーンズを599ルーブル(約1900円)とするなど価格は日本国内に近づけた。今後3年間にモスクワで10店舗の展開を目指す。
2010/04/02 19:43 【共同通信】


 注目すべきは、「日本流の接客」です。ユニクロがフランスへ進出した際に、その接客が何よりも驚かれたそうです。フランスでさえそのような状況ですから、ロシアではなおさらだと思います。先の記事にあるように、「旧ソ連時代のサービス意識に乏しい接客」とは、恐らく全く対照的に映るかもしれません。
 ソ連が崩壊し、マクドナルドなどの「西」のものが流入したときに、商品を購入したあとに笑顔で「ありがこうございました」と言われることに、ロシア人は驚愕したといいます。ソ連時代では、買ってもらうのが当たり前という、売り手の方が立場が上だったそうです。それを考慮すると、サービスに驚くということは、大いに頷けます。

 「日本流の接客」。「消費者の目線に合わせて」、などということは、ひょっとしたら日本の、いや日本人の持ち味なのかもしれません。
 全く関係の無い話ですが、日本の自衛隊が海外の被災地で活動する際、現地の人々からの評判がよいといいます。多少上から目線で活動をする欧米諸国に較べて、目線が低く、より現地の人に寄り添い、どんな作業もこなしていく様が好印象を与えるそうです。この話は自衛隊の人から聞いたものなので、絶対真と断言するわけにはいきませんが、日本人の特質というか、物腰というものが垣間見えます。
 接客と自衛隊の支援活動を結びつけることは、かなり粗暴ですが、ふとそんな風に思いたくなりました。海外での日本の評判を聞くことは、凄く興味のあることで、それが良いものであったなら、素直に嬉しく感じます。やはり、良い面は誇ってもよいと思います。またその逆も然り。
 ユニクロのモスクワ進出の話から、大分逸れてしまいました。ただ、ここに一つの「異文化交流」を見出せたということだけは強調しておきます。


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posted by Itta at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

日露関係の発端

 ここ二日、更新していませんでした。理由は…新歓活動です(汗)何だかんだで、大学生なので、このような行事が付きまといます。早朝から深夜まで、いろいろ作業をしていました。と言っても、単なる言い訳に過ぎなく、毎日更新される方々には、頭が上がりません。

 さて、今回は日露関係の歴史について述べたいと思います。歴史といっても、日露戦争とか、近代ではなく、もっと前の日本とロシアが出会った、江戸時代ごろの内容です。

 ロシア帝国がシベリアに進出する16世紀後半まで、ロシアの東端はウラル山脈でした。イェルマークをはじめとするコザック民族たちにより進出ははかどっていった訳ですが、目的といえば、黒豹などの毛皮獣の獲得でした。当時、そのような毛皮が、フランスなどの西欧では、ロシアの水準とは桁が違うかなりの高値で取引されていたといいます。つまり、毛皮は重要な資金源だったのです。しばらくは、シベリアの原住民を圧迫しながら、黒豹を獲らせ、一方で、広大なシベリアをどんどん東進していきました。毛皮を取り扱う商人や労働者のための町は作られましたが、食料不足に大変悩み、餓死者が出るなど、シベリアは、行ったら戻れないかもしれないという陰鬱な暗い印象を与えていたといいます。それでも、一攫千金を目的に黒豹の獲得は行われていきましたが、乱獲したことにより、黒豹が減少してしましました。
 そのような中、カムチャッカ辺りの海峡で、ラッコが捕れるということが分かると、そちらへ進出していくことになります。しかし、それでも食料を本国から運び込むのは大変効率が悪いのです。そこで、ロシアは中国に接近して、イルクーツクとモンゴルのウランバートルを結ぶ通商路がひらかれました。ただ、中国に、毛皮の需要がなく、カムチャッカなどの極東に物資を運び込むには、やはり遠く、問題は解決されませんでした。

 ここで、日本、という極東にポツンと浮かぶ、豊かな文明圏の存在が知られます。日本は地理的に最適で、かつ農業国であり、食料が期待できる、最高の国だったに違いありません。そこから、ロシアから日本へのアプローチが始まるのです。当時、日本の商人は、千島列島辺りまで、やってきており、ときに漂流して、島々に流れ着いていたそうです。そのような情報があったものだから、ピョートル大帝は、漂流民を発見したら、都に連れてこい、という命を出しました。伝兵衛という大阪の商人がピョートルに、大黒屋光太夫がエカチェリーナ2世に、それぞれ拝謁した背景には、このようなものがあったのです。

 つまり、極東開発(海獣を効率よく獲得していくこと)には日本の支援(食料供給)が必要だったということが、日露関係の始まりだったというわけです。
 おや、と思う人もいるかもしれません。今も昔も本質的には関係性が変わっていないのだから。現代ロシアも、極東開発のために、日本の技術支援を欲しています。地政学的にみたときに、その関係性にはある種の一貫性があります。ただ、日本とロシアが出会ってから、まだ300年ほどしか経っていないことを考慮すると、関係性が変わらないということも大いに頷けます。


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posted by Itta at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

かつての宗教空白―オウム

 昨日ぐらいから、オウム真理教の犯行を警察が云々という話題が出ていますが、オウムといえば、その海外支部の中で、モスクワが最大規模を誇っていたということが思い出されます。何でも、日本国内よりも信者が多く、その数は35,000人ほどであったといわれています。
 ソ連が崩壊して、国民の中に宗教空白というような精神的な揺らぎがあり、そこにオウムのみならず、たくさんの新興宗教が進出していきました。その中でも、オウムが広まったということでしょうか。
 先月ぐらいに、辺見庸の『もの食う人びと』(1994年)という、世界の過酷な食環境を取材してゆくという作品を読みました。その著作中に、「チェロ弾きの少女」というモスクワについての一項があります。自分の娘に、街でチェロを弾かせ、お金を乞うという家族についての話なのですが、実に当時の生活環が表されていると思っています。そして、次のようなことに、少々過去の「リアル」を感じてしまいました。

 
 12月選挙でだれに投票したかタチアナに聞いたら、すかさず答えた。
 「(極右民族主義者の)ジリノフスキーよ。二年後には冷蔵庫を肉でいっぱいにしてみせるって言ってたもの。前はエリツィンが好きだったけど、大統領としてまったくだめね」
 (中略)
 「ロシア人の偉大さを、もう一度思い出さなきゃ」
 タチアナはだれにともなく言うのだ。
 (中略)
 居間にオウム真理教のパンフレットがあった。
 「ショウコウ・アサハラには興味あるわ」
 黒パンをくわえたタチアナがジリノフスキーを褒めた時の口調で言った。
 (『もの食う人びと』より抜粋)


 タチアナとは、少女の母親です。このような、ささいな生活にオウムが入り込んでいることに、モスクワが最大規模を誇ったことが妙に納得されました。
 のちには、シガチョフ事件などが起こりました。すっかり、過去のものとなりつつありますが、日本とロシアには、このような面での関係があったということは留意すべきだと思います。


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posted by Itta at 12:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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