例えば、簡単な言い回しですが、「最も美しい切手」という意味のロシア語は、
Самая красивая марка (サーマヤ クラッシーバヤ マールカ)
と表されます。一例だけでは説得力がないかもしれませんが、ロシア語は、全体として男性名詞とか女性名詞に対応する活用の変化が似ているので、このように韻を踏みやすいのです。
次に、ツルゲーネフの『猟人日記』の“свидвние”という作品から例文を取り上げます。
Я сидел и глядел кругом и слушал.
(ヤー シジェール イ グリャージェル クルーガム イ スルーシャル)
Она притихла, подняла голову, вскочила, оглянулась и всплеснула.
(アナ プリチフラ パドゥナーラ ゴーラフ バスカチーラ アグリャーヌラシ イ フスプレスヌーラ)
という例文です。実際の発音を聞くと、流れるように聞こえてきます。平らな文面では分かりづらいですが。
さて、この『猟人日記』の“свидвние”という作品、二葉亭四迷が『あひゞき』として翻訳していることは有名です。二葉亭は「歐文は唯だ讀むと何でもないが、よく味うてみると、自ら一種の音調があつて。聲を出して讀むと抑揚が整うてゐる。即ち音楽的である。」と述べていて、ここからロシア語の「音楽性」について確認が出来ます。そして、この音楽性を重んじるために、二葉亭は初めての翻訳の際には、その音楽性をも翻訳しようと試みます。
先の例文2つは、以下のように訳されています。
「自分は座して、四顧して、そして耳を傾けてゐた」
「「アクーリナ」は漸く涙をとゞめて、頭を擡げて、跳り上ツて、四邊(あたり)を視まはして、手を拍た」
現代の感覚で考えると、このような翻訳はたどたどしく感じるかもしれません。しかしながら、当時は言文一致運動の始まりの頃で、二葉亭の影響は多大なものでした。最終的に、二葉亭はこの翻訳は諦めて、改訳を試みたわけですが、二葉亭の姿勢は、ロシア語が日本語とは異なった独特の「音楽性」を持っているということを認識させてくれます。
ロシア語の一つの特徴をこのように考えたわけですが、もちろんロシア語が綺麗な言語で日本語がそうではない、ということではありません。それぞれの言語が独自の特徴を持っており、それはそれで尊重すべきです。
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